ミき下の【スミつき】

Overturn Of Encephalon

【消失果実(ロスト・ベリー)】ep.1

 こうなったら本当のことを言う他あるまい。
 ここで下手に嘘をついたり誤魔化したりしたら、怪しまれることは免れない。
 沢口は一言、
「イチゴが消えたんだ」
と言った。
 個室全体が水を打ったように静まり返る。
 あ?
 話の流れを止められて怒っているのか、単純に疑問を呈しているのか、恐らく後者だろう。
 それを分かっていつつも、沢口の中では、さっきまで吹いていた和やかなムードという名の風が止み、代わりにじとっとした陰気さが覆い、その場の空気が硬直を始めた。
 沢口はやや平静さを失いながら、続ける。
「嘘じゃない。グラスの縁にイチゴが残ってたからこの箸でつかんで食べたはずなんだ。なのに、味がしなかった」
 酔ってるから舌の感覚が無くなってるんだよ、というなだめの声が浴びせられた。
 納得のいかない沢口は言う。
「そういうことじゃない。そもそも味というより、物を含んだ感覚が無かったし、飲み込んだ覚えもないんだよ」
 じゃあその辺に落ちてるんじゃない?
 その言葉で我に返った沢口は、服の襟や裾をめくったり、携帯のライトを駆使したりしながら畳の上、掘りごたつの下を探した。
 他の三人は終始沢口の動きを目で追っているようで、焦りと緊張で汗が額に滲む。
 何十秒か経過した。
 結局見つからなかった。
 するとそろそろ飽きたのか、このことに一人関せずだった奥の男が、そういうことだってあるよ、と能天気な表情で言い放った。
 それを受けて唸りながら大きく左右に首をひねった沢口は、まじないが解けたかのように俯き黙り込んだ。
 どっと笑いに包まれ、さっきまでの和やかさが戻ってくる。
 その日のイチゴが消えた話題はそれまでだった。

 一時間ほど飲んでから四人は解散した。
 その間、沢口は終始イチゴのことが脳裏によぎってあまり話に入れなかった。
 狐につままれたような気分に浸りながら手を振り別れて、沢口は一人別方向の電車に乗り込んだ。
 家路に着く間も、あのこと以外何も考えられなかった。
 あれはどこに行ったのだ。
 消滅(ロスト)した。
 心当たりのあるところはあの場で探したのに、どこにも見当たらなかった。
 水分を含んでいるのだから転がっていくものでもない。
 となると残る手段は、家で服を脱いで確かめてみる。
 それしかない。
 だが、それで無かったらどうする?
 この世にはもう、あの一かけのイチゴは存在しないのか。
 何をばかなことを。
 会いたい。
 あのイチゴに会いたい。
 彼奴に会わないと気が狂ってしまう。
 一人煩悶しながら、酔いの回った覚束ない足取りで沢口は自宅に帰ってきた。
 深夜一時を回っていた。
 当然だが、他の家族は寝静まっている。
 やや急ぎ気味で廊下を突っ切って、洗面へと向かった。
 台の前で沢口は服を脱ぐと、赤い実の潰れた跡がないか探してみた。
 見当たらなかった。
 耳を澄ませる。
 浴室から音がする。
 水の音だ。
 体を上げる。
 明るい。
 電気が点いている。
 ガラス戸から透けて見える浴室の中には、大きな赤色の影があった。

 やっと逢えたね。

(終)